koji sekiyama



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ずっとフォトリアリズム(写真を絵にする)ということをして います。
制作の工程はものすごくアナログで、画像にグリッド(等間隔の線)を入れたものを出力し
キャンバスに同じ比率のグリッドをひき、それを見本にひたすら描くのみです。
何百年も前から使われている手法です。

故に最近の写真っぽい絵によくある”製品的なフラット感”はほとんどないです(実物を見ればよく分かりますが…)
ただ、それが私の売りです。私の絵はフォトリアリズムの中では「ヘタウマ」だと認識しています。
それでもこの手法にこだわるのは、もともと生真面目で保守的な私の「絵とはこうでなくてはいけない」という
部分と、そもそもそれしか出来ないという理由からです。
元々”想像して描く”ということが極端に苦手で、白い紙を渡されて「好きなように描きなさい」と
言われると全く何も描けないのです。(もちろん散々足掻きました)
必然的に私にとって絵=対象物を見て描くということになり、現在に至ってます。


軸の部分だけ述べます。

・ 表現手法は絵画であること
   いろいろな表現をやってみたい気持ちはあって画策はしましたが、ほぼ画策の段階で萎えてしまうことが判明し
   必然的に今のところこうなっています。
   (余裕ができたらまた挑戦したいとは思っています)

・ トレースはしない
   フォトリアリズムをやっているとよく「写真を絵で描く意義」みたいなことを聞かれますが
   私はこれが完全な境界線だと思っています。
   私の中ではトレースをしたものは作品であっても、絵ではないと定義しています。
   なぜならトレースは描かされた形であって、自分が感じた形ではないからです。
   例え見本を元に描いていても、一度自分の脳を通して描くことで必ず
   自分のクセ(個性)が出すつもりが無くても自然に出ます。
   そして、そこに表れる「線」こそが写真に無くて絵にあるものだと思っています。

・ テーマは「違和感」と「くだらなさ」と「怪しさ」
   題材は主に外に取材に行って撮ってくるのですが、その際気を付けていることが
   「違和感」か「くだらなさ」か「怪しさ」を感じたものを撮るということです。
   それが何なのかはなかなか文章には出来ませんが、
   いろいろ撮ってきた写真の中で、上記の3つの内のどれかを感じ、
   且つ、「これを絵にしたら面白そう」と思ったものをチョイスして描いています。
   
   またもう一つ気を付けていることは迂闊に「はかなさ」「せつなさ」「叙情的」なもの
   にならないようにするということです。
   理由は単純に昔からそういったもの(表現)が嫌いだからです。
   ただ、私が描くモチーフは油断するとそういう感じになってしまうので気を付けています。
   
・ 作品に「意味」は持たせない
   作品を描いた理由があっても、「特に意味はない」作品を目指しています。
   理由は純粋に「描いたら面白いと思ったから」ということだけで描いていきたいからです。
   自分なりにあったとしても、あまり作品に理屈や意義を付随させるのは好きではありません。
   
   なので何か作品のことで聞かれた際、「何か面白いかな〜って思って…」
   と答えて済む作家になるのは一つの目標です。
   
   特に最近は、くだらないものを何の意味もなく描きたいという思いが強いです。
   年を喰って分かったことですが、私は「確かな技術を持って全力でバカなことをやる人」が
   一番好きなようです。


最後に…

   galleryを見ていただければ分かりますが2009年以降の作品は掲載していません。
   今まで「都市を描く人」という感じでやっていましたが、
   現在は「真剣にくだらない絵を描く」という方向でで鋭意制作中です。
   その作品をきちんとギャラリーで発表できたら、galleryに追加する予定です。
   展示が決まったらinformationにて告知します。
   しばしお待ちください。



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